公務員からブロガーに、どうやってなったの?1

今回は、私の社会人経験の思い出をお話ししたいと思います。

だらだらと書いてしまいましたが、どうぞお付き合いください。

※もしぜんぜん興味無ければ、読み飛ばしてください!

初めての公務員時代、あっけなく終了。

私よっしーは、地方国立大学を学士で卒業後、某地方公務員として採用されました。

最初の仕事は、公教育関連の部署での業務でした。

挨拶の仕方に始まり、さまざまな業務遂行のための研修を次から次へと学びました。

この頃は、学生の頃に鍛えていた体力も存分にあり、遅くまで仕事に燃えていた時期でした。

しかし、働き始めて2年ほどして間もなく、私は一大決心をしました。

そして、人生の大きな転換を経験したのです。

パートナーの実家の建設会社で下働きを経験したよ!

パートナーの希望で、私は結婚を機に公務員をいったん退職しました。

まだ、20代半ばあたりの頃のことです。

そして義両親の実家へ入り、無職になった私は当面、実家が経営している建設会社の仕事を手伝うことになりました。

私は営業として外回りに出かけ、集金業務や新規の仕事を取り始めました。

事務員として、営業先の現場見積もりを清書してプリントアウトしたり、積算書類を作成して役場に提出する仕事もやりました。

地方自治体の仕事は入札制でとることになっていて、入札用に提出する積算資料の数字を検査したり、開札の立会にも行きました。(自分は会場に入りませんが)

また、公共工事の完遂には様々な報告書類の提出が求められました。

日々の記録が大切なので、現場を走り回って工事用写真をこまめに撮影し、記録写真を整理しました。

職員の安全教育(KY活動)も月に一度、定例会を開きました。

工程表も作成して作業の進捗を管理して、現場監督に近い仕事をしていたと思います。

また、建設作業現場の日雇いのような仕事も数か月経験しました。

ユンボ(パワーショベル)の操作も覚えて、社有地内でのオペ業務に従事していました。

私有地(社有地)内なので、特殊免許はありませんでしたが、特殊機械もそのうち免許を取れるようにと、習熟訓練のために触らせてもらっていました。

義家族は、実質的に自分を会社の実務に据えようとしていたのでした。

ところで、よく町で見かける働くクルマと言えば、ゴミ収集車がありますよね。

私はその社有のゴミ収集車(パッカー車)を操縦して、現場の作業ごみ、いわゆる産業廃棄物を回収する仕事にも従事しました。

当時運転していたのは2tと4tの、新明和の架装のプレスパッカー車でした。

私はディーゼルガスの排煙の独特なにおいをかぎながら、黙々と赤い動作ボタンを押していました。

4t車の、全塗装した真っ黄色のボディがぷっくりとしていて、大柄で丸っこい印象がまるでプーさんのようだと感じたのが、とても思い出深いです。

それから、ユニッククレーン付きの4tスーパーロング車まで、旧型普通免許で運転できる中型限界の大きさまでのトラック類は何でも走らせて、現場まで回送しました。

当時は何でもやってみて、見よう見まねで自分でできるようにしました。

特に何かの機械の操縦について、マンツーマンでじっくり教わることなどありませんでしたから。

プレスボタンの作動タイミングや、ユンボの超信地旋回、ショベルアームの手繰り方、PTOの操作などなど、職人が実際にやっている様子を見まねて自分で動かし、手順で分からないところや注意点を聞くにとどめていました。

というのは、義家族に遠慮…というより、職人というのがちょっとおっかなかったのもあります。w

分からないことを尋ねれば、ちゃんと分かるように教えてくれました。

この頃に実社会をいろいろ肌身で感じたことは、大学までの学生時代に学んだ何よりもずっと大きな経験でした。

よく「公務員は社会を知らない」と言われます。

けれども、この実家の会社で働いた期間はわずかでしたが、私に世の中の経済活動の仕組みや、企業と地方自治体の力関係を理解し、社会の動きを知る気づきを与えてくれました。

だから、たとえば取ってきた仕事といただける金額のボリュームゾーン、従業員の給料と会社の利益分配などの辺りに関しては、私自身の感覚ですが、一般の会社員よりも多少は詳しくなったと思っています。

一言でいえば『相場観』が養われたことが大きかったでしょうか。

何しろ、実際にお客様に見積もりを出して、進捗状況を管理して、納期までには請求書を発行して訪問集金し(銀行振り込みは大口の取引先だけ)、従業員のその月の実働時数をカウントして給与を支給して…までを自分の手で行い、会社の利潤を確保する作業を行っていたのです。

公務員だけをやっていたら、体験できなかったことがたくさんありました。

会社や、世の中の仕組みはそれまで知っていたつもりで、本当に分かっていなかったと感じています。

でも、その経験をしたことが自分の公務員経験に、どう結びつくの?業務内容に関係ないじゃん?

という疑問もあるでしょうが、

次世代の働き手となる学生を育成する、教育職の業務と後々深く関わる中で、この時の経験はさまざまな場面で役に立ったと感じています。

そして第一子の誕生! 公務員職を再度志願してリスタート。

その後は子供が間もなく生まれることになり、子育てのためにも収入を自分で得て経済的に独立したいと思い、義実家との折り合いをつけながら、義実家の仕事をすっぱり辞めました。

そして近くの自治体の臨時職員の求人を探して面接を受け、期間限定の職務で採用され、仕事を続けながら勉強をし直しました。

少し時間は掛かりましたが、本採用試験を受け、無事に合格しました。

そしてパートナーのふるさとで、よっしーは地方公務員として再出発しました。

わが子も無事に生まれ、退職や会社員、作業員時代など多少のイレギュラーがありましたが、

これからは順風満帆で、仕事に専念して頑張っていけると思っていました。

次回に続きます。

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